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何気ない日常をシカクク観る。

Día.24「量より質 質より量」

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質より量が必要なとき。

体に、アタマに、何かを覚え込ませたいとき。どんなに質の良いもの、この場合は集中して数回だけある行動を行うだけ。では、凡人の体や頭はそれまでの行動と考え方に戻ろうとしてしまう。

現在の自分というのは、苦痛だったこと、難しかったことをたくさんの量をこなして乗り越えて、自分にとって楽で効果のあるカタチに落ち着いてる。

それがいつのまにかに通用しなくなる。

そんなときには、やはりカタチを変えなければいけないんだろう。ゼロからではないにしても、カタチを変えるとういうのは苦痛をともなうのかもかもしれない。もともと柔らかい素材ならそんなことはないのかもしれないけど、それもまた、あるカタチに納まりづらいという特性をもっているのかもしれない。

量をこなしていくと、自然と質が高まってくる。

反復の行動を繰り返すことで、体の動かしかたや、思考回路のカタチがさだまっていくことで、その全体像が見えてくる。

どこをどう磨いたらいいのかがわかってくる。尖ったところ更に鋭く鋭利に、丸いところは輝くように丸く、広くずっしりさせたいところにはさらに付け足してと、どんどんと磨かれていく。

今ある状態は、どんな人にしても磨かれて、磨いて「質」が高まった状態ということになるのか。その輝きの状態は考慮しないとして。

 

量より質が優先されるもの。

 

食べ物、持ち物、自分が手にするもの。

 

栄養のないもの(質が劣るもの)、心を込めて好きと思えないもの(質より、安いという値段を優先させたもの)、たくさんのガラクタを持つよりも、心を込めて作られたいくつかモノを持つことの方が良いように感じる。

 

栄養のない食べ物をたくさん食べてもお腹は満たされるが、良い身体は作られない。

 

質の良いものを作り上げるには、多大な量の時間を必要とする。

たくさんの研究、試験、試行錯誤の末にたどり着くのが質。

 

食べるものにしろ、持つものにしても、質の良いものは、それ1つだけで、多量の質の悪いものにとって変わる。

 

質と量。

 

場面場面で必要なるものはかわる。

 

どちらが必要とされているのか、必要としているかを考えて生きる。

 

 

いつか感じた質と量。より