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何気ない日常をシカクク観る。

New York Day.1「到着。そして妻とはぐれる」

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家からバスで東京へ。

9時間。

東京ー台湾 3時間40分。

台湾ーNY 15時間。

トータル 27時間ほどの移動時間を経てNYに着いたのは夜の10:00ころ。

日本の裏っかわまでくるのには直行便なんかをつかえば、半日あれば到着しちゃうということだな。

ジョン・F・ケネディ国際空港からエア・トレインに乗るために移動しはじめる。2人でジャマイカ行の電車に乗ればいいんだよね?と話をしながらエアトレインの駅に到着。

丁度ジャマイカ行の電車が来て

「これだよな〜」と自分は乗り込む、と同時にドアがクローズ。。。
傍らにいたはずの妻の姿が見当たらず。。。

「あれーーーーー?」と振り向き、顔を見合わせながら、妻を置き去りにトレインは進む。

 

オーマイガッ!!と思わず心のなかで叫ぶ

 

ジャマイカまで行ってしまうか、次の駅で降りて次来る電車に乗ってくるはずの妻を待つか、究極の選択のような問を頭の中で繰り返す。

「よし、次の駅で降りて乗ってくるはずの妻をそこでキャッチしよう!」と決め、次の駅で降りて、ジャマイカ行のトレインを待って乗り込んだが見当たらない「オーミアモール」どこに行ったんだ?!

まさか乗らずに最初に駅で待ってるんじゃないか?!と思って、歩いて最初の駅に戻るも見当たらず。これはもうジャマイカに行ってるかもしれない!いや「ジャマイカで待っててくれ〜!無事でいて〜!」と逸る気持ちを抑えながら、ジャマイカ駅に到着。

 

 

降りるとホームにいるではありませんか!

 

 

「あ〜良かった(泣)」と思いながら、顔をみると彼女も半泣き。無事で良かったとホントに思った瞬間だった。

来てそうそうの事件に見舞われるも、無事解決。携帯がない時代というのはこういうことが日常茶飯事だったんだろうなと思った。
そういうものがないことで、相手を信じたり、どういう行動するかな?とか深く知っていかなきゃいけないから、今の時代にはもしかしたら逆に良いのかもしれない。

ないからこそ、時間を決めたり、集合場所を決めたり、そこで相手が遅れたりしたら大丈夫かな?向かってるかな?とか心配したり、物事が時間通りに進まない社会だからこその良い面もあったりする。時間がかっちり決まってる社会では、数分遅れただけで「なにしてんだ!なんで遅れるの!?」なんて、同じ状況での気持ちの持ちようが反対になりがちだ。

2次的な要因によって、時間通りにものごとが上手く運ばないことで相手を思いやる気持ちも生まれやすくなる。日本にいると、というか、便利な機械やアプリなんかによってレスポンスが早くなったというメリットはあるけれど、同じくらい心にゆとりをもてなくなってしまったというデメリットも抱えてしまってる。

2人が離れ離れになることの恐怖感なんかもちゃんと感じられる。1ヶ月の海外生活は携帯なしでもいいのかもしれない。

とか思いながら、予定よりもだいぶ遅れて、無事にホームステイ先に到着。

時刻は2:00AMになっていた。

ホームステイ先へ向かう道も迷子になり、くたびれ果ててはいたものの、お腹がへっていた。そこに向かう途中通り過ぎた、「丼」の提灯がすぐに頭に浮かび、飯をくらいに向かうことにした。

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腹いっぱい食べて、初日の夜を終えたのでした。

Have a good night !

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