Día. 22「わがままと素直の境界線」
あいつは「わがままな人だ」と言われる人と「素直なひとだねあの人は」と言われる人の差はなんなのだろうか?
自分自身を見直してみて、けっこう自分の好きなことをやっている。好きなことをやるということは自分のわがままを押し通すことなのだろうか?
我が儘・わがまま とは
①他人のことを考えず、自分の都合を考えて行動する・こと(さま)
身勝手。自分勝手。②思うとおりに贅沢をする・こと(さま)
自分の意のままであること
いつもの大辞林を見てみるとそんなことが書いてある。
その隣にもう一つ載っている言葉があった。
気儘・きままま
他人に気兼ねなどせず自分の思ったとおりに行動する・こと(さま)
「わがまま」があるが、「わがまま」は他人の迷惑もかえりみず、自分の考えや気持ちを押し通そうとするさまをいう。それに対して「きまま」は何の束縛も受けず自分の思い通りに振る舞うさまをいう
そういうことかと納得、そもそも「わがまま」と「素直さ」はべつのものだから比べることがおかしいんだなと。
自分の思ったとおりに行動するというのは、ある意味自分の直感に従って動くこと自分の思いに従って動くことのように思う。素直に自分の意志にしたがって動く。
「他人のことを考えず 」と「他人に気兼ねせず」という微妙なラインの違いで良くも悪くも取られてしまう。
これもやはり、受け取る側の気持ち一つということなのかな?
書きながら思ったことは、その人のとった行動のどこかに後ろめたい気持ちが秘められていたときに、その人の行動が他人の目に対して「我が儘」に映るんじゃないか、後ろめたさや、そういうものがない状態が素直な状態で、そういう時の行動は「気儘」な行動に映るんじゃないのかな?
その境界線はとても微妙なところだ、行動は一緒でも思いが違うと現実に不具合を起こす。後ろめたい行動というのは、いつの間にか現実に掘り起こされてしまうものなんだろうな。
モノとモノとの境界線ははっきりと別れておらず、写真のピントのようにぼやけた、曖昧で、どっちつかずなものなのかもしれない。不図すれば、思いもよらない方向に傾く。
良いことも悪いことも、素直な感情で、しゃべる、伝える、動くと自分に言い聞かせる。