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何気ない日常をシカクク観る。

Día.14「味」

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味ってなんで 出てくるんだろ?と思った。

 

野菜にも肉にも生まれてきたものにはなんでも味というものはついている。無味のものなんてあるのだろうか?

 

人間にも同じく味があると言う言葉を使う。

 

味ってどこからやってくるのだろうかを考えてみる。野菜が生まれる前は種の状態だ。種の時は種の味があるのだろう、そこから、それぞれの持つ美味しさをつけていく。

 

そこには、水、土の栄養、土の栄養を保つにはそこに住む生物の関わり、太陽、風、人間の手、自然の支えetc 様々な要素が関わり合って野菜は育っていく。言うなれば、野菜が住む、育つ環境が野菜を育てていっているような感じかな。

 

それぞれに、多すぎたり、少なすぎたり、強すぎたり、弱すぎたりすると育ち方はかわってくる。そのなかで、生き残るものもあれば耐えられずに亡くなるものもあるだろうな。でも、本当に良い水や、自然の栄養、人間の程よい助けなんかを受けてきたものは美味しい味を備えていくんだろうなと美味しい野菜を食べながら思っていた。

 

そう考えると人間の味もやっぱり、自分が身をおく環境で変わり続けていくんだろうなと思う。人間の場合には、成長と共に環境を選んでいくことができるという野菜にはできないことができる。生まれたばかりのときには「親、家族という環境」や「そのまわりにいる人達という環境」の影響をたくさん受ける。

 

その環境には良いものも悪いものもあるだろう。良いものの影響を受けて、悪いものの影響はなるべく防いでいくこと旨味を保ちながら成長していくことができるだろう。

 

人間の寿命は野菜よりも何よりも長い。ということは、死ぬまで味を高め続けていくことができる。環境や人が人間の旨味を作っていく栄養素なのだとしたら、最高の味に近づけるか、不味い味になるかは、どんな場所でどんな人たちに囲まれているかが大事になってくる。

 

「どんな環境に自分自身を置き続けるのか?」

 

いつも問いかけていきたい問である。

 

美味しい野菜を食べる毎日 @ スープカレー屋さんにて